岐阜-私の記憶PARTⅢ河原町-

今まで私の生家の周辺の紹介をしてきました。
今回は家庭の事情で、生家から北へ数百メートルいった所に住まいを移動しましたので、その周辺の紹介をしたいと思います。

■金華山の麓、長良川にかかる長良橋です。
今では古典モダンに見えるスチール造の橋ですが、私の幼少の頃の長良橋は木造で、中央に市電が走り、床は木の板のすき間から川が見える橋だったのです。
下を覗くと足がすくんだ記憶があります。

 

■橋をくぐるとシーズンオフの鵜飼船が停泊しています。

 

 

 

■これが観覧船の乗船場です。シーズンの夕方は人でごった返します。
今は人っ子一人いません。

 

 

 

■この裏にも鵜飼船が停泊しています。
対岸には競技場や都ホテル、その隣に安藤忠雄さん設計の国際会議場があります。

 

 

 

■近くに観覧船の造船所があり、シーズンオフに修理したり、新しい船を造ったりしています。

 

 

 

■この界隈は河原町といって長良川を使って上流から木材や和紙が川湊から陸上げされ、問屋が軒を並べていた所です。
当時のまま町並みが保存されています。

 

 

■古い倉が立ち並び、当時の繁栄ぶりがうかがえます。

 

 

 

 

■古い町家を利用したお店もあります。赤いポストは現在でも生きているようです。

 

 

 

■脇道は川の船着場に通じる路地で、だんだら坂を下って、左右の石積みがだんだん高くなっていきます。

 

 

 

 

 

 

 

■石積みの上に倉や建物が建っています。
石積みのコーナーですが、とても美しい。

 

 

 

 

 

 

■河原町の入口ともいえる橋のたもとです。私の幼少の頃、このあたりでよく映画撮影が行われていました。
今でも憶えているのが、高橋英樹と和泉雅子(昔は細くて美しかった)のラブシーンです。何度も何度も抱きあうシーンを監督がOKを出すまで繰り返していたことを…。
子供ながらにも羨ましかった。

■この通りの一角に小じゃれたレストランがあります。
町並みに合わせた新しい建物ですが、小さなチャペルが併設され、レストランウェディングができる施設になっています。
実は昨年、私の長女がここで結婚式と披露宴をしました。

 

■建物の裏は現在、芝を貼った美しい広場になっていますが。、当時は畑で、ロボット水門につながる小川があって、子供たちの格好な遊び場でした。
畑のあちこちに肥溜めもあって、岐阜で最も古い老舗の建設会社の社長の次男で、私の同級生がそこに落ちて、みんなで大笑いしたことを思い出しました。

 

■道路を挟んで一風変わった公園があります。
この門は中国の杭州市と友好都市提携を結んだ記念に、杭州市より西湖の風門を送られたものです。

 

■門を潜ると、そこはまるで中国の西湖です。
この公園は私の幼少のころはありませんでしたが、私は妙にこの公園が好きで、よく足を運びます。
脇の水路を挟んで、底なし沼と恐れられた御手洗池があり、そこから岐阜公園につながっています。
私の生まれ育った地域がいかに豊かな環境であったか再認識させられました。

岐阜に生まれたことを誇りに思います。
私のコラムも、これをもって最終とさせていただこうかと思います。
ご愛読いただいた方々に感謝申し上げ、筆を降ろさせて戴きます。

岐阜 -私の記憶PARTⅡ岐阜公園-

 

今回も私の幼少のころ遊んだ場所をご紹介しながら、岐阜の街を見てみたいと思います。


■私の生家から北へ100Mほどいくと岐阜公園の入り口があります。
この公園は子供たちの遊び場で遊具も豊富にあり、ガチャガチャした雰囲気でしたが、今は美しく整備され、当時の面影がありません。

 

 

■その左側には万松館という由緒ある旅館があります。
昭和天皇や当時の皇室は来岐すると必ずここに泊まりました。
私たち子供は、そのたびに日の丸の旗をふるのが仕事でした。

 

 

■公園に入ると右側に名和昆虫博物館に隣接する、資料館が見えます。
この公園がいかに私の生家に近いか分かります。

 

 

■この女神の像は昔からありましたが、こんなきれいな噴水になったなんて。
当時の公園は動物公園で、ライオンやペンギン、世界中のめずらしい鳥がいました。

 

 

■右の像、板垣退助の像です。この地で演説中、刺されて死にました。
明治15年 自由党総理の時 ,
「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残して散りました。
後の100円札になりました。

 

■この公園の敷地の一部に織田信長の居館があったことが判明し、動物公園がいつやら歴史公園になってしまいました。

 

 

 

■発掘が進むと巨石の石積みや、後の高度な築城技術につながる発見があるようです。

 

 

 

■このように、そこらじゅう掘り起こして調査しています。どうやら単体の館ではなく、館群のようです。

 

 

 

■この水門のデザインはユニークで子供たちはロボット水門と呼んでいました。
この水路で魚を採ったり、泳いだりして遊んでいました。
とても懐かしいです。

 

 

■ロボット水門につながる水路です。このあたりはホタルがたくさん出て、シーズンには毎晩のように父といっしょにホタルを見に来ました。
父がいつもアイスクリームを買ってくれるんです。


■その水路の脇に御手洗池(みたらしいけ)という池があります。
やや暗いこの池を子供たちは底なし沼といって恐れていました。
採れるのは、雷魚となまずだけです。栄養不足の子供たちでも、ここの魚だけは口にしませんでした。
関が原合戦で岐阜城が落城して奥女中の多くが投身自殺をしたと聞いていたからです。

岐阜-私の記憶PARTⅠ大仏殿

■今回は岐阜をテーマに、特に私の生まれ育った記憶のある場所を、数回に分けて紹介させていただきます。


■岐阜の旧市街地の中心、本町通りです。
正面に見える山が金華山で、頂上に岐阜城が建っています。
このあたりに母の生家があり、お茶屋と旅館を営んでいたとのこと。

 

 

■本町通りを脇に入ったところに、私の通っていた金華小学校があります。
これ、最近できた正門です。

 

 

■正門から見返した風景です。
金華山とお城が真正面に見えます。
その当時の校舎は木造で、その校舎を壊し、鉄筋コンクリートの校舎に建替える工事をしていました。
その工事を毎日見るのが私の日課で、現在の私の仕事のきっかけとなりました。

 

■この通りは私の通学路です。
古い街並みが今でも残っています。

 

 

 

■左右の脇路も、こんな古い家が残っていて、久々に歩いてみると とても懐かしく感じます。

 

 

 

■この酒屋さんは特に懐かしく、父に頼まれてお酒を買いに来ました。当時、父の晩酌は日本酒2~3合だったと、はっきり記憶しています。
なぜなら、父はお酒を買置きせず、毎日飲む分だけ買いに行かせたからです。
つまり私が器を持って、毎日のように通ったのです。
父の喜ぶ顔が見たくって。

 

 

 

 

■小学校の正門からまっすぐ東に向かって金華山にぶつかった所です。
この長い石段の上にはお寺があります。

 

 

 

 

 

 

■白華庵という禅宗の草庵で、このあたりは私の子供の頃の遊び場でした。
この石柱の右へ50M行ったところが私の生家です。
現在は空地になっていました。

 

 

 

 

 

■向かって左へ50Mの所にこの建物があります。
名和昆虫博物館です。

 

 

 

 

■この全国的に有名な名和昆虫館ですが、おそらく財政が厳しかったように思います。
なぜなら昆虫の標本を作って売っていたからです。
私達子供たちが採った美しい蝶や、変わった虫を高値で買ってくれて、それを原資としていました。
これは貧乏な私たち子供にとっては、貴重な現金収入でした。

 

 

 

■私の家から南へ100M行った所には大仏殿があります。
どこに行っても、バックに金華山とお城が目に入ります。

 

 

 

■この境内も私たち子供の遊び場で、特にお盆には夜店がたくさん出て、盆踊りもあり夜遅くまで校区の子供たちがいて、その日は夜遊び自由の無礼講でした。

 

 

■建物の内に入ると大きな大仏が鎮座しています。
日本三大仏に数えられています。つまり大きいのです。

 

 

 

■正式には黄檗宗金鳳山正法寺大仏殿です。
作りは真柱に大イチョウを建て、竹編みで骨格を整え、粘土で型を作り、漆の上に金箔を貼った乾漆大仏です。奈良や鎌倉は高度な鋳造技術を必要とする大仏です。
それに比べ、技術的には張りぼて大仏なんでしょうか。

■大仏の周りには五百羅漢が配置されています。
かならず自分に似た羅漢がいるとのことで、子供の頃から探しているんですが、今回も見当たりませんでした。
つまり阿羅漢(あらかん)尊敬 供養を受ける値のある人……から外れているんでしょうか。

京都-太秦・嵯峨野-

■大学教授から、退官を迎えるので京都の実家の地に家を建てようと思う。土地を見てくれないかとの依頼がありました。
敷地は京都の北部、国際会議場の近くの宝ヶ池でした。
私の次男が近くに下宿しているので、敷地視察後、久々に息子に部屋に泊り、一度見てみたいと思っていた太秦の映画村と、嵯峨野を散策してみました。

■私は昔から時代劇が好きで、特に江戸時代の風情や下町の雰囲気、そして着物姿になぜか惹かれるのです。
いよいよ映画村に入ります。

 

 

 

■そうそう、この感じ。水路際に家並みがあり、岡っ引きがうろうろしていても違和感なし

 

 

 

■これが江戸の町のメインストリートでしょうか。

 

 

 

 

■ちょっと裏へ入ると狭い路地風がとても良い。

 

 

 

 

■脇の路地は、今でいう飲み屋街のようですね。

 

 

 

 

■遊郭街ですね。昔は今みたいに夜は明るくないので、薄暗いなか、提灯の明りで浮かび上がる赤い格子は、如何なものだったのでしょうか。

 

 

■この格子の内から、娘さんたちが「お兄さん、寄ってらっしゃいよ」と声をかけたんですね。

 

 

 

■田舎家もあります。いまにも鶏が出てきそうです。

 

 

 

 

■港もあり、ご禁制の品を荷上げしながら、「おぬしも悪じゃのお」という声が聞こえそうです。

 

 

 

■映画村のある太秦からJR山陰線で嵯峨嵐山駅で降りて、嵯峨の竹林に向かいます。通りの奥の人だかりは渡月橋です。

 

 

 

■これが有名な嵯峨野路です。竹林や竹垣が素敵ですね。

 

 

 

 

■路の左右は、こんな竹林が林立しています。すごいです。

 

 

 

 

■突然、竹林が開けるとのどかな畑が広がります。この一角にとても気になる建物がありました。

 

 

 

■この茅葺き屋根の家は落柿舎(らくししゃ)といって芭蕉の門人・向井去来の遺跡で、完成された趣を感じます。

 

 

 

■入口部分です。狭いなか来客用の入り口と勝手口の設えが、絶妙としかいえません。

 

 

 

 

■室内の造りも洗練され完璧な出来です。

 

 

 

 

■外壁の塗り壁をみると鉄粉の混じった土が使われていて、鉄が酸化しほど良く錆が浮かびあがり、なんと計算されつくした趣でしょう。

 

 

 

■鹿威しも何と言っていいのか、完璧なデザインでわびさびの極致といってよいでしょう。

京都-金閣寺(鹿苑寺)-

 

建築をやっている人間は、一般的にまず金閣寺には訪れないでしょう。
なぜなら、金箔を貼りめぐらした、成金趣味の建物に嫌悪感をいだくからです。
しかし、この歳になって小学校の修学旅行以来、久々に見る金閣は美しい!
50年近く前に見たであろう、金閣寺の記憶はまったくありませんが、これは来世を願う仏塔だったんですね。


■金閣寺の近くまでやって来ました。
右側の小高い山に左大文の大の字が見えます。

 

 

 

■ここからが金閣の参道です。

 

 

 

 

■金閣寺の庭園は広く、2つの池を回遊するように計画されています。

 

 

 

■参道は広く真直に延びています。

 

 

 

 

 

■脇の庭もとてもきれいに整えてあります。

 

 

 

■やっと唐門にたどり着きました。
素晴らしい門です。
この脇から入場します。

 

 

 

 

■いきなりこの風景が目に飛び込んできます。
誰もが喚声の声を上げます。

 

 

 

■金閣寺は回遊式庭園になっていて、池を廻って庭を愛でるのですが、一般の方はダメのようです。

 

 

 

■格子のすき間から覗いてみました。
歩いてみたいな。

 

 

 

 

■実に美しく、優雅です。

 

 

 

 

■方丈の前庭には、足利義光の愛した盆栽を移植して大きくなった松があります。
とんでもない松ですね。

 

 

 

■金閣寺の象徴でもある舎利殿の裏へ廻ると、至近距離で見ることができます。

 

 

 

■お守り売り場まで優雅で美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

■夕佳亭という茶席です。
とても、しっとりとした佇まいです。

 

 

 

 

■すぐれた完成された数奇屋ですね。

京都-龍安寺-

 

京都―龍安寺

建築を始めた頃、今から40年前に龍安寺を訪れました。
白砂に波紋が画かれ、数個の石がランダムに配置され、背景はシンプルな塀と樹木でした。
この簡素な庭を見て、20才の私はとても感動しました。
理由は?と聞かれても、その当時は答えられなかったでしょう。
40年ぶりに訪れた龍安寺は、私を受け入れてくれました。
何か懐かしく、心が落ち着きました。
すべての装飾や無駄を取り除いた庭は、簡素な中に美しさだけが残っているように思えます。
つまり自分を見つめることの出来る庭なんですね。


■龍安寺は方丈の石庭が有名ですが、実に広い伽藍を持っています。

 

 

 

■参道は回遊式庭園になっていて、池が絶えず左に見えます。

 

 

 

 

■龍安寺は石庭が有名ですが、この蓮池は素晴らしいと思います。

 

 

 

 

■庭内の参道の脇の庭もきれいに手入れされ、苔が美しいです。

 

 

 

 

■参道から方丈に入ると、いきなりこの有名な石庭が現れます。

 

 

 

 

■なんて簡素で美しいんでしょう。
もう説明する言葉はありません。

 

 

 

 

■その脇の庭はしっとりとした苔庭です。

 

 

 

■すべての無駄をなくしたクールでドライな石庭の脇にある、このウェットで情感あふれる緑の庭はいったい何なんでしょうか。

 

 

 

■反対側の廊下も緑豊かな庭園になっています。

 

 

 

■石庭に戻って見ました。
このように人の頭が一列に並んでいました。

京都-大山崎山荘美術館-

前から行ってみたいな、と思っていた京都山崎の安藤忠雄氏の設計による小さな美術館を、今回みることができました。
ここは、ニッカウィスキーの創業者の山荘で、不動産屋の手に渡り、解体して高層マンションに変わる予定でした。
地域の文化人や京都府も働きかけ、保存に至った経緯があります。
建物だけでなく、かなりの名画のコレクションもあり、数年前に安藤氏により「地中の宝石箱」という地中館が増設されました。
今回、新たに「夢の箱」山手館が増設されました。
新聞の片隅にみつけた情報で、さっそく見に行くことにしました。


■小高い山にあるこの山荘には駐車場がありません。
JR山崎駅で降りてずいぶん歩いて登っていきます。
やっと辿り着いたが、門なのか、トンネルなのか?

 

 

■トンネルをくぐって、またずいぶん歩くとやっと山荘の入口らしきものが見えてきました。

 

 

 

■ここが大山崎山荘の門のようです。

 

 

 

 

■そこからまた歩くと眼前に大きな木が立ちはだかっています。

 

 

 

 

■それを廻り込むと、やっと西洋館のような山荘があります。

 

 

 

 

■脇には下に設営されている庭へのアプローチも見えます。

 

 

 

■庭園は回遊式になっていて、美しいパーゴラもあります。

 

 

 

 

■庭園といっても、ほとんど自然の山を生かし、見上げると山荘の母屋が見えます。

 

 

 

■新緑の庭園のなかには池も造営され、そんな自然の中に忽然とコンクリートとガラスの箱が立っています。

 

 

 

 

 

 

 

■近づいてみるとコンクリートの箱の横は水が流れ落ち、池に到達するように設計されています。

 

 

 

 

 

 

 

■ガラス越しにBOXの中を覗き込むと、上へあがる階段のみが見えます。

 

 

 

 

 

 

 

■その正体を探るため上にあがり、山荘の玄関に着きました。

 

 

 

 

■山荘の中から脇を見るとコンクリートとガラスの細長い、まるで列車のような建物が緑の木々の間から見えます。

 

 

 

■近づいて覗くといっきに降りる階段がありました。
上部のFIXガラスを通し、木々や空が見え、地中の美術館へ誘います。

 

 

 

 

 

 

■美術館本体はこの風景の下、つまり地中に埋まっていますので確認不可。

 

 

 

■ご紹介したのは1期工事の「地中館」2期工事の「夢の箱」も半分地中にあり、山荘のジョイント部より撮った写真です。
最近の安藤さんは、もう目に見える形を超えたのかもしれません。

岐阜-八ツ草公園-市営球場

県美術館の北、道路を挟んで市営球場があります。
八ツ草公園の中央に球場があるんですが、どちらかといえば球場の周りに帯状に緑地がへばりついた公園がある、といった方が良いかもしれません。
このコンパクトな公園の特徴は、なんといっても設置されている彫刻の多さです。
もっと驚くのは、ここのすべての彫刻が地元の作家、しかもほぼ岐阜市在住の作家の作品で埋められていることです。
今回は、その彫刻を紹介させていただきます。

■県美術館から道路を挟んで公園が見えます。

 

 

 

 

■八ツ草公園のサインがあります。

 

 

 

 

 

■けっこう緑があって散歩コースとして私のお気に入りです。

 

 

 

■右側にベースボールの球場があります。

 

 

 

 

■子供たちでしょうか。のびのびと野球を楽しんでいるようです。

 

 

 

 

■球場の芝の緑がきれいな季節です。今年は岐阜国体のお陰か、サインボードが電光掲示板に新調されました。

 

 

 

■左脇をみると「わらべ」というタイトルの彫刻があります。北川さんの作品です。
かなりイケメンの作家です。
この作品はどこか、国の重文でもある岸田劉生の「麗子微笑」を彷彿させません?
もしくは、サランラップのCMの女の子

 

 

 

 

 

■これはなかなかの力作で、かなり強いアピール性のある作品です。

 

 

 

 

 

 

 

■近づいて見ると恐いくらいです。作品の題名と作家をしるしたプレートが見当たらないのが残念です。

 

 

 

■これは郷さんの「すり合わせた2つの形」というタイトルの作品です。これは誰が見ても男女に見えますね。彼とは、彫刻家・建築家・グラフィックデザイナーの3者で一つのテーマをキーワードにして紙上ギャラリーをやりました。テーマは「サイコロ」

 

 

 

 

■私共の近くにアトリエを構えていた高橋康雄さんの作品「コンポジション」です。建物の門扉などのデザイン制作もなさっていて、親しくさせていただいていましたが、この作品を見て、バランスの良さと作品精度の高さにびっくりしました。素晴らしい作品だと思います。

 

■この作品は真中の右がぶらさがっていて、前後に揺れるんです。おそらく子どもの遊具に変わってしまったのか、作品を示すプレート等がなくなってしまっています。

 

 

 

 

 

 

■この作品はこの公園で最も人気があり、いつも子供たちがよじ登ったり腕を突っ込んだりして遊んでいます。なんか恐竜か怪物に見えるのか、キックなどもしています。当然、作品を示すプレートなど、どっかに吹っ飛んで見当たりません

 

■彫刻のある公園の遠景ですが、左端に最近できたものがあります。

 

 

 

■まだ出来立ての遊具です。これを設置してから、この公園に圧倒的に子どもの数と若いお母さんたちが集まるようになりました。高邁な石の彫刻より、カラフルな遊具の方が人は集まるんですね。

 

 

■最後の彫刻作品の紹介です。「西方の館」という作品で、作者は玉井正爾先生です。存在感といい、黒御影石の扱い方、つまり磨いたり削ったり、の表現が他者とは圧倒的な違いを感じます。
小さな地方都市、岐阜にこんなに多くの彫刻家が生まれたのも、すべて玉井先生の指導と存在があってのことです。

 

 

 

 

 

追伸
先々回のコラム、県美術館で紹介した彫刻の掲載もれがありました。改めてこのページで紹介させていただきます。

■高橋清氏による「第三の太陽」です。炎のような外輪の中にまた彫刻があります。

 

 

 

 

■石をくり貫いて中央部に残した彫刻が妙にエロティックで生命を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

■美術館の森の中にコンクリートの壁が立っています。塀のようにも見えます。

 

 

 

■はじめ、これが作品だとは気が付きませんでした。よく見ると、天然の樹木に、食い込むようにコンクリートの壁が自立しているのが分かります。
「壁」というタイトルの榎倉康ニ氏の作品です。プレートには(1942-1995)とあります。若くして亡くなられたのでしょうか。
また1971年(再製作1995年)ともあります。
寄贈榎倉充代氏とあるのは、ご身内なのでしょうか。天然の樹木の成長と共に再製作する作品なのでしょうか。

岐阜-岩村 明智大正村-

ゴールデンウィークには滅多に外に出ない私ですが、今回、混むのを承知で日帰り旅行をしてみました。
それは7年に1度だけご開帳される、黄金に輝く1千体の阿弥陀仏の写真を、地方新聞の片隅に見つけたからです。
それは今から400年程前、岩村城主が領地と住民の安泰繁栄を祈願して、仏典「浄土三部経」一千部を地中に埋め、その上に石室を設け、金箔で施された1千体の仏像を安置した。
そして、ご開帳は5月6日までとありました。
とても感動し、これは是が非でも見たい。いや、お参りしたいと思い、行動に出ました。
なぜか車ではなく、鉄道を使って行こうと決めました。
JR東海道線で名古屋まで、そこから中央線で恵那まで、明智鉄道に乗換えて岩村駅まで行きます。
ついでで悪いけど、目的を終えたら明智まで足を運び、まだ行ったことのない大正村に行くことにしました。

■中央線恵那から出ている明智鉄道のワンマンカー大正号です。
ディーゼルで、重い車体で一生懸命です。

 

 

 

■岩村駅に着きました。実に渋い駅です。

 

 

 

 

■旧中仙道で栄えた古い町並みが残っています。

 

 

 

 

■駅から歩いて10分。やっと目的のお寺の参道に着きました。細くてきつい坂を登ります。

 

 

 

 

 

 

 

■やっと目的の寺が見えてきました・・・?寺というか、何か小さなお堂みたい。

 

 

 

■小さなお堂は、お線香の煙でよく中が見えません。

 

 

 

 

■やっと奥に辿り着くと、石棺があり、一部開いています。

 

 

 

 

■そこにしゃがみ込んで見上げると、この光景が眼前に拡がります。
つまり、平伏して見上げ、拝む姿勢にして初めて、黄金に輝く千体仏にご対面できるのですね。
この姿勢は洋の東西を問わず、信仰の原点なんですね。

 

■願望のお参りを終えて、例のディーゼル機関車で明智駅に着きました。

 

 

 

■大正村のスタートです。細い路地には倉や古い建物が迫っています。

 

 

 

 

■これが大正期の役場です。きれいに残っています。

 

 

 

 

■どんどん坂を登って行くと、正面に元小学校の校舎。今の小学校の校舎がかわいそう。

 

 

 

■元小学校から登ってきた道を見返す。右に役場、今来た路地が見えます。

 

 

 

■これ、大正の郵便局。今は隣に立派なやつが建ってます。

 

 

 

 

■これが大正資料館です。入場料がいるので入るのやめました。

 

 

 

 

■すぐそばに、すごいお倉が建っていました。

 

 

 

 

■倉の側面から見ると、手前に変なお店があって、とても大好きな写真になりました。

 

 

 

■また上に登ると代官所、陣屋跡の鳥居が見えます。

 

 

 

 

■代官屋敷の一部らしいが、現在も使っているようです。なんか、すごく格好いいですね。

 

 

 

■また上にあがると、茅葺屋根の家が見えてきます。

 

 

 

 

■これ、元庄屋さんのお家らしいです。

 

 

 

 

■室内から玄関を見ると、なぜか写真がかっこいい。

 

 

 

■どっちでも良いが、茅葺屋根もいいが軒天もいい・・・。
これは専門家の性でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

■これは大正ロマン館という新しい人寄せ建物です。なんの興味もなく去る。

 

 

 

ついでに足を延ばした大正村でしたが、春らんまんで楽しかったです。
帰りの明知鉄道の時間調整に寄った駅の近く。おばちゃん1人でやってるおでん屋さんに寄って酒を飲んでたら、地元で針灸をやってるおじさんと意気投合して、お酒をご馳走になってしまいました。駅まで見送って戴いてありがとうございました。

-最後に-
今回の目的である阿弥陀仏1千体のお参りは、実は私1人ではなく、一緒に行ってほしい人がいました。
それは今から30年前、初めて私に家の設計を依頼してくれたSさんが悪い病気になり、何とか回復してほしい一心で、神にもすがる気持ちでお参りしたかったからです。
残念なことに、お参りできる体力がないとのことで断念して、私1人でお参りすることになりました。

岐阜-宇佐 県図書館

先回に続き、ご近所の「県民文化の森」にある、県図書館を紹介します。
この施設は私の散歩だけでなく、家族全員が重宝に使わせて頂いています。
今では当たり前になりましたが、開架式の図書館で自由に好きなように利用できます。
特徴は、地図の資料においては全国でも屈指の図書館です。
たとえば東京、大阪の全区の住宅地図(ゼンリン)のコピーが入手できます。
それとレストランが併設され、公的な施設に属したレストランにしては、味もおいしく、雰囲気もいいです。
ここでレストランウェディングをするカップルもいるくらいです。

私にとって嬉しいのは、図書館で疲れた頭を、ここの冷えたビールが癒してくれることです。

■先回のスタート地点。右側が美術館で左側が図書館でしたね。

 

 

 

 

■左の奥に白く見えるのが県図書館です。

 

 

 

 

■道角のオープンスペースにユニークな彫刻があります。「ワン・モア・タイム」って題名で、ふとっちょのおじさんがサックスホーンを吹いています。

 

 

■隣に開いた本の上に、ちょこんと座ってる猫がとぼけてます。

 

 

 

 

■ガス燈通りから見た図書館です。手前にシンボルのような彫刻があります。地元の作家のものです。

 

 

 

■図書館の全景です。全体に白を貴重にした建物で完成時は白亜の殿堂でした。

 

 

 

 

■導入部はピロティになっていて正面に水盤があります。

 

 

 

 

■水盤の上には彫刻があり、読書コーナーが見えます。

 

 

 

■ホールは吹き抜けてて、右側に閲覧室があり、奥に2階へ上がる階段が見えます。

 

 

 

 

■とてもきれいな階段で、上のホールに何か赤いものが見えます。

 

 

 

 

 

 

 

■素敵な彫刻です。確か有名な彫刻家の作品ですよね。

 

 

 

 

■2階は吹抜の左右に会議室等の部屋が並んでいます。

 

 

 

 

■一階へ降りると開架式の図書室です。緑の庭を取り込んでいます。

 

 

 

■奥にあるレストランです。ここで休むんです。

 

 

 

 

■外へ出るとレストランの看板があります。直接外からレストランに入れるようになっています。

 

 

 

■脇にある自転車置場です。私はなぜか、この自転車置き場のデザインと、その雰囲気が大好きです。

 

 

 

 

 

最後に、この建物は岡田新一という建築家が設計したものです。
岡田新一氏は鹿島建設の設計部に属していた時、最高裁判所庁舎のコンペに一等入選しました。
それを期に独立して最高裁の設計をした人です。

岐阜-宇佐 県美術館-

私の自宅兼事務所から西へ歩いて数分の所に、県民文化の森という文教ゾーンがあります。
そのゾーンには今回の紹介する県美術館のほか、県図書館、市科学館、市民球場、低層タウンハウスなど、環境を意識した施設が配置されています。
最近、散歩をすることを覚え、緑も多く恰好な私の散歩コースになっています。
今年は国体が岐阜に誘致されることに合わせ県美術館が増設されました。
それを踏まえ、県美術館の紹介をしたいと思います。

尚、この建物の設計は、日本で最も大きい設計組織の日建設計が担当しました。
ちなみに、その代表の林昌二氏の奥さんは、日本の住宅設計における女流建築家の草分け的存在の林雅子氏です。

■県民文化の森に着きました。中央のガス燈通りを挟んで、左側が県図書館で右側が県美術館になります。

 

 

 

■このこんもりした森の中に県美術館はあります。

 

 

 

 

■美術館への導入部のアルコーブには、斜めに倒したバーナー仕上の黒御影石の壁に流れ落ちる、さわやかな水の演出がみられます。

 

 

 

■美術館の看板、つまりサインですが、まったく気のないところが好きです。

 

 

 

■今回増設した部分が見えてきました。

 

 

 

 

■敷地内のランドスケープのデザインは非常にうまく伸びのある庭園です。

 

 

 

■これが県美術館の本体です。あまり存在感がなく、周りの彫刻が目に入ります。そう、この美術館は屋外彫刻が素敵です。

 

 

 

■左右に並んだ黒御影石のキューブの先に彫刻があります。でも、このアプローチのキューブも彫刻のようです。

 

 

 

■正面の彫刻は、なんと、ルノワールの「勝利のヴィーナス」というものでした。油絵のあの豊満な少女そのものでした。県美術館の所蔵作品の最も高価なものにルノワールの少女像があります。

 

 

 

 

 

■小清水漸の「アララトの舟」です。非常に緊張感のある好きな作品です。

 

 

 

 

■大成浩の「風の影NO.1」です。完成度の高い作品に見えます。この作品は美術館全体を引き締める役割をしているように思います。

 

 

 

 

 

 

■この天野裕夫の「バオバブ・ライオン」は実に気持ち悪い割には子どもにたいへん受けています。

 

 

 

 

■李兎煥の「関係項」です。芝の上に立ったコールテン鋼の壁と芝に横たわったコールテン鋼の板の関係は実に美しく見えてきます。

 

 

■杉浦康益の「陶による石の群」は飛躍感があり、美術館のアプローチとして素晴らしい選択だと思います。

 

 

 

■館庭の新緑が美しく、木の葉を通し春の陽光が眩しいくらいです。

 

 

 

 

■林武史の「立つ人-月見台」です。実際に立って見て分かる快感。だまされたと思って試しに立ってみてください。

 

 

■同じく林武史の「月に吠える」です。これは試作中に偶然立ち会って、林武史氏ひきいる美大生たちが寄ってたかって土と格闘してました。この作品は、私は妙に好きです。

 

 

■美術館本館の脇にある格調高いマイヨールによる「地中海」という裸婦像です。

 

 

 

 

■美術館の中央を分断するコンコースです。左が常設、企画展示場で右が一般展示の県民ギャラリーになっています。

 

 

 

 

 

 

■受付のバックに美しい中庭が見えます。

 

 

 

 

■右にある一般展示場のロビーです。ミースのイスが格好いいです。

 

 

 

 

■ロビーに属して多目的ホールがあります。ここにはレプリカではありますが、ミケランジェロの素晴らしい作品があります。

 

 

 

■岐阜の白川在住の世界的に有名な辻氏制作によるパイプオルガンが置かれていて、定例の音楽会が開かれています。

 

 

 

 

 

 

 

■コンコースに戻ると正面の奥に彫刻が見えます。

 

 

 

■ジャコモ・マンズーの大きな「枢機卿」です。この作品には宗教をベースとした崇高な気高い雰囲気があります。私の大好きな作品でもあります。

 

 

 

 

 

 

■マンズーの彫刻を見て振り返ると、今来たコンコースの長さが分かります。実に長い

 

 

 

 

 

 

 

■入口近くに戻ると玄関脇にある、マイヨールの作品が見えます。

 

 

 

 

■やっと出口です

 

 

 

 

■館外へ出るとそこはガス燈通りです。

 

 

 

 

■スタートした県民文化の森の位置まで戻りました。右に県美術館、左に県図書館でしたね。次は県図書館をコラムします。

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか。
これで県美術館の紹介を終わりますが、冒頭に述べた設計者の林昌二氏ですが、公共建築物や大きなオフィスビルの設計を多数手掛け、日本の高層オフィスのデザインの基本型を作った人です。
そのシンプルでダイナミックな構造による美しい建物は、日本の建築設計レベルの向上に大きく貢献しました。
そのよき理解者で伴侶の女流建築家の林雅子氏は、いつもぼやいていたらしい。
「いつも亭主は私のデザインをパクるんですよ」と。いまは亡き、林昌二氏と林雅子氏のご冥福をお祈り申し上げます。

岐阜市図書館-つかさのまち夢プロジェクト-

 

■岐阜大学医学部跡地における、プロポーザル方式の利用施設の競技設計が行われました。
全国から70名の応募があり、一次審査で10名の建築家が残りました。
その中には安藤忠雄氏や妹島和世氏など、世界的な建築家の名前がありました。
二次審査で伊東豊雄氏、槇文彦氏、藤本壮介氏の3名が残りました。
いずれの建築家も世界に注目されている人物です。
最終の三次審査は公開されましたので、是非見たいと思い会場へ行くと大変な行列で、カットされて中に入れませんでした。
並んでいるのは県外の学生や、建築設計に従事しているらしい人々で、日本中から注目されたコンペであることが分かります。
最終審査で最優秀賞は伊東豊雄氏が勝ち取りました。
実施設計料は2億7500万円です。
うらやましい…

■公開プレゼンテーションの会場風景

 

 

 

 

伊東豊雄氏のプランを岐阜市のホームページより案内させていただきます。

大垣-ソフトピアジャパン-

岐阜市に隣接する大垣市は工業の町です。
新しいもの造りを応援するため、IT産業の振興を計り、この建物はできています。
設計は、ソフトバンクのCMで有名な若尾文子の夫、今は亡き、黒川紀章氏です。
私が建築の勉強をしていたころ、丹下健三の率いる弟子の中でも磯崎新と共に筆頭的存在でした。
メタポリズムを提唱し、都市も建築も、増えたり減ったり自在な変化に対応できるものでなくてはいけないという論理です。
銀座の中銀カプセルが実現した代表作品です。
とりあえず作品を見てみましょう。

■メインの高層ビルの上には2本のタワーが立ち、夜はカラフルなライトアップがされます。

 

 

 

 

■東西に一直線に3棟の建物が配列され、1番東の建物です。
三日月状の屋根が特徴です。

 

 

 

■とんでもなく玄関庇が伸びています。

 

 

 

 

■中間に水盤のある、水庭を介して笹の葉型の屋根が特徴の建物が見えます。
なんだかユニークな写真ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■正面から見ると、いかに直線的に建物が配置されているか分かります。

 

 

 

 

 

 

 

■黒川氏の若い時の作品、東京の中銀カプセルです。

北方-県営住宅-

岐阜市の北西部、北方町にある古くなった県営住宅を解体して、新しく共同住宅を建てる構想を建築家、磯崎新氏に当時の県知事が託しました。
磯崎氏の提案は、女性建築家他数に競わせるように、全てバラバラのデザインの共同住宅を建てさせるものでした。
共同住宅は全体に統一感を持たせるデザインが一般的です。
これはとても画期的な発想で、危険な挑戦でもありました。
当時、県知事も女性の建築家なら、別々のデザインでも柔らかい感性の住まいになるだろうと思って決定したのでしょうね。
実際はハードです。一棟ずつ見てみましょう。

■まず敷地のコーナーを占めた建物です。設計はクリスティン・ホーリー氏です。

 

 

 

 

■隣接して妹島和代氏の建物が見えてきます。

 

 

 

 

■日本を代表する女性建築家です。

 

 

 

 

■さすが、単純そうに見えて複雑なマチィエルのファザードをしています。

 

 

 

■メゾネット型式の住居になっているのが分かります。

 

 

 

 

■彫刻もよく似合います。

 

 

 

 

 

 

 

 

■裏側の階段も実に大胆です。

 

 

 

 

■その裏に エリザベス・ディラー氏の設計による建物があります。

 

 

 

 

■南側のバルコニーが建物のファザードを作っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

■その隣にある建物は 高橋晶子氏による建物です。独特なバルコニーのデザインです。

 

 

 

 

■裏へ廻れば、廊下がブリッジのようで素敵です。

 

 

 

 

 

 

■裏側とはいえ、とてもバランスのとれたデザインです。

 

 

 

 

■以上、見てきましたが、女性的な建築だったでしょうか。

岐阜-長良川国際会議場-

■先日ASJ企画の、県外の建築家7名を含む「未来をのぞく住宅展」に参加しました。
会場は長良川国際会議場でした。
この建物は安藤忠雄氏の設計による建物ですが、建築雑誌等あらゆるメディアに掲載されていません。
つまり、安藤氏が自らの作品として認めていないということです。
よほど安藤氏の思う建築の重要な部分が、この建物に欠如しているかということでしょうか。

安藤氏の足元にも及ばない私ですが、岐阜市が世界的建築家の設計を変更させ、屈辱的な思いにさせた理由を建築の中に探してみたいと思います。

■まず道路からの外観、隣接してルネッサンスホテル(現都ホテル)があります。

 

 

 

 

■ホテルへの連絡ブリッジと屋上へ上がることができる広い階段があります。

 

 

 

■建物正面のファサードです。
いつもの安藤さんは、ここまでファサードを厳格にしないような気もします。

 

 

 

■屋上にはガラス面の多いBOXが4本あります。

 

 

 

 

■裏へ回ってみると、巨大な卵のような球体があります。

 

 

 

 

■なにか建物からはみ出たのか、食い込んだかのように見えます。
この内部に同時通訳の設備のととのった国際会議室があります。

 

 

 

■よく見ると何か、卵の一部が欠けているように見えます。

 

 

 

 

■卵の殻を削って、何かの機能を持たせる要望があったのでしょうか。

 

 

 

■国際会議室の内部です。
現在私達が建築展をしています。

 

 

 

■あの卵の欠けているのは、この会議室の一部に開口部を設け、バルコニーにしたんですね。
なるほど、岐阜の象徴である金華山と長良川が美しく眺望できます。

 

 

■でも卵の中で議論され、高い精神性のもと、高めていく国際社会における人間の熟成を計る国際会議室において、外部に開いてしまう建築はどうかと思う。
安藤氏それを嫌ったような気がします。

 

■また屋上庭園から、長良川、金華山に向かって降りていく御影石のピンコロの広い階段も、やや疑問をいだきます。

 

 

 

■おそらく安藤氏なら、長良川堤の下まで降ろさず、長良川にもっと近づく案があっても不思議ではありません。

 

 

 

■隣接する建設省(今の国交省)の反対と、岐阜市の腰抜けの対応がおそらくネックだったと思えます。

 

 

 

 

■さて、まちがい探しはそのくらいにして建物を見て廻りましょう。
エントランスから入って右側に円型の屋上まで吹き抜けている多目的なホールがあります。

 

 

■ここでコンサートをやったり、色々なパフォーマンスができるホールです。

 

 

 

 

■最上階は屋上庭園につながるガラスのBOXがあります。

 

 

 

■玄関ホールへもどって正面を見ると湾曲した階段で上へ上がります。

 

 

 

■トップライトと側面のFIXの窓、安藤氏らしいデザインです。

 

 

 

 

■階段を登り切ると、国際会議室のホールに着きます。
卵の片鱗が見え左側に強い光の窓があります。

 

 

■水庭、卵、ブリッジ、階段と安藤氏らしい空間がひろがっています。

 

 

 

 

■このホールより、また湾曲した階段で国際会議室へ上がります。

 

 

 

 

■やっと、また国際会議室に辿り着きましたね。展覧会をやってます。
ほんとに、ここまで来て頂いたお客様に敬意と感謝を申し上げます。

各務原-瞑想の森-

各務原市の西、つまり岐阜市との境の小高い山すそにこの建物は建っています。
昔からの古い墓地と火葬場があった場所です。
現在隣接して新しい工業団地が造成され、工場建設のイメージの悪い墓地を、何とか明るく美しい環境に変えたいという思いで、各務原市は石川幹子氏にランドスケープの依頼をし、
墓地を整理して山すそを整え、メインの斎場を墓地より離し、工業団地の中間に配置し、美しい斎場を配置しようとしたように思えます。
そして石川幹子氏はそれにはメインの斎場と周辺の設計は伊東豊雄氏が適任と考えられたのでしょう。
伊東さんの柔らかい建築は、人間の心を和ませる力を持っています。
これが安藤忠雄さんだったらどうでしょう。少し力強すぎるかもしれません。
もしこれが槇文彦さんだったらどうでしょう。ちょっと繊細すぎるかも。
このランドスケープにぴったりなのが伊東豊雄氏の設計による斎場です。

■工業団地を左に、めい想の森斎場にアプローチします。

 

 

 

 

■瞑想の森のサインです。

 

 

 

 

 

■山のすそ野にキレイに整備された墓地が見えます。

 

 

 

 

■斎場の脇に大きな池が配置され、水面に反転して斎場が写ります。

 

 

 

■屋根を支える柱は、足元が細く上に上がるほど太くなり、上部で大きく開きます。
まるで蓮華の華のようです。

 

 

 

■仏教でいう蓮華は、下界と浄土を結ぶ大切な架橋のようです。
脇にある大きな池も蓮華池にする予定でしょうね

 

 

■エントランス廻りもさすが、伊東豊雄さんらしく綺麗なデザインですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ホールからも蓮華と墓地のランドスケープされたデザインが見渡せます。

 

 

 

■待合ホールからは蓮池と対面します。
伊東豊雄さんは、ひょっとして仏教、浄土信仰に造詣が深い方かもしれませんね。

各務原-テクノプラザ-

関と江南を結ぶ幹線道路沿いの丘陵地にこの建物は建っています。
各務原市は、木工団地、金属団地といった工業団地を多く有し、工場誘致に積極的な都市です。
特に川崎重工を中心とした航空機産業がさかんで、宇宙開発に方向を見出しています。
このテクノプラザの建つ工業団地は、ハイテクを支援し、育てる意味合いを持っていて、テクノプラザと銘打っています。
設計はパリのポンピドー美術館を設計したイギリス人建築家ロジャースです。


■小高い丘があるだけで、大きな建物があるように見えません

 

 

 

■入り口のように見えます。

 

 

 

 

■駐車場から見ても丘のように見えます。

 

 

 

■もっと近づいてみます

 

 

 

 

■丘陵地の傾斜に合わせてへばりつくように建物が計画されているのが分かります。

 

 

 

■傾斜のまま階段を作り、それに添って各室が配置されています。

 

 

 

■各室には太陽光を遮るルーバーがあり、建物は土の中に潜り込む感じです。

 

 

■まるで、棚田か段々畑のように各室が積み上げられています。

 

 

 

 

■やっと最上階にたどり着きました。

 

 

 

■裏へ回ってみます。丘の高い位置が、実は建物のメインの入口でした。

 

 

 

■アプローチのガラスの屋根の黄色は素敵です。

 

 

 

■ちゃんと建物のサインもありました。

 

 

 

■玄関ホールは下にあります。

 

 

 

 

■丸柱の列柱が林立するホールへ降りていきます。

 

 

 

■中央にトップライトがあり、コレがこの建物のヘソらしい。
建物の屋根は軟体動物がくねったようなデザインで、そのくねった部分がトップライトの位置です。

 

 

■科学技術専門の図書館があります。

 

 

 

■図書館は屋根の形状がそのままデザインになっています。

 

 

 

■レストランもあります。

 

 

 

 

■レストランから庭に出るとこの建物の構造やスタイルが見えてきます。

京都大原-三千院-


■大原三千院には何度も来ていますが、秋の紅葉の季節に訪れるのは2回目です。とにかく、人気があって、このシーズンの土日は人を見に来るようなものです。
土日は長い行列ができるとのことです。
平日なので、ゆっくり三千院を楽しむことが出来ました。


■三千院の入口あたりにはお店がたくさん並んでいます。
やはり人気があるんですね。

 

 

 

■参道は長く、くねくねとした、だんだら坂を登ります。

 

 

 

 

■途中にもお店があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

■山門近くにも、たくさんのお店が軒を連ねています。

 

 

 

 

■やっと山門にたどり着きました。

 

 

 

 

■客殿の部屋からみた庭はたいへん美しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■三千院を代表する、往生極楽院から見た庭です。
この庭は、あきらかに室内から見る庭ではなく、堂に入るアプローチとしての庭です。
つまり他の堂院のように室内から庭お見る建物とは、まるで違う機能の建物だということです。

 

お堂に入ると中央に阿弥陀如来、右に観世音、左に勢至菩薩を配し、天井は船底天井の作り。
つまり、このお堂は人間を来世極楽に連れて行く作りになっています。
そう思ってみる仏像はなんと尊いことでしょう。

京都大原-寂光院-


■寂光院の歴史は古く、いまから1400年前聖徳太子の父、用明天皇の菩提を弔うため建立されました。

■寂光院の入り口に着きました。
色々なお店もあります。

 

 

 

 

■入り口右脇に落合の滝という美しい滝があります。

 

 

 

 

■参道はややきつい坂を登りますが、狭い参道には古木が立ち、紅葉がきれいです。

 

 

 

 

 

 

 

■登る途中に、右側に茶室に入る、実にしぶい門があります。

 

 

 

 

■寂光院は天台宗の尼寺で、高貴な家門の姫君が出家されるお寺で有名ですが、思ったより小ぢんまりして質素なのに驚きました。

 

 

 

■庭はたいへん紅葉が美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

■なんか、ひっそりとした小さなお寺で、高貴な姫君が晩年、仏に仕えおそらく来世の幸せを願ったと思うと、けなげな姿とこの小さなお寺、寂光院というひびきまで、もの悲しくなります。

京都-鞍馬寺-


■鞍馬は不思議な聖域だと感じます。
京都の聖域の中でも1番のパワースポットだと書いてありました。
私はそれよりも、たいへん大らかなキャパの広い神々(佛)が存在しているように、強く感じます。
少なくても門前のキジ南蛮そばはとても旨い。

■それにしても鞍馬の参道はきついです。
まだまだ修行の身とはいえ、還暦なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

■その途中には神社もあり、不思議な空間をくぐると…。

 

 

 

 

 

 

 

■巨大な杉の木が3本、祀られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

■参道には古い楓の巨木が倒壊して、朽ちているように見えます。
ところが生きているようでまるで彫刻のようです。
これも鞍馬のパワーでしょうか。

 

 

 

 

 

 

■つづら折りの参道が延々と続きます。

 

 

 

 

■まだまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

■最後の急な階段。紅葉はきれいそうだね。

 

 

 

 

■紅葉、ほんと、美しい。

 

 

 

 

■はあ、はあ、やっと登りきりました。
やっぱ紅葉きれいだね。ぜいぜい。

 

 

■ずいぶん高いとろこにあるお寺であることが分かります。

 

 

 

 

■これが本堂で、誰か何か1人立ってます。

 

 

 

 

■後ろへ下ってみると、行列で並んでいます。
何か、1人ずつでなくてはパワーが頂けないようです。
実におおらかで好きになれるお寺です。

京都北山-光悦寺-


■光悦寺は私にとって、たいへん思い出深いお寺です。
今から40年前、まだ建築家の玉子の玉子で、勉強中の私を、先輩がぜひ見ておきなさいといって連れていってくれたお寺が、この光悦寺です。
今でも印象にあるのが、各茶室と独創的な垣根でした。

■光悦寺の細い参道の前に立ってびっくりしました。
それは、あまりにも美しい紅葉が突然、眼前にあらわれたからです。

 

 

■ゆっくり下りてきた参道を見返します。

 

 

 

 

 

 

 

 

■まだまだ下りていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

■下り切って見返します。

 

 

 

 

 

 

 

 

■これが有名や光悦垣です。
独特なうねりと湾曲した竹垣が徐々に地面に下っていきます。

 

 

 

■近くで見るとけっこう力強く感じます。

 

 

 

 

■この茶室が光悦垣を持つ、もっとも代表的な茶室です。
その他、たくさんの茶室が庭の各所に建っています。

 

 

 

■京の洛北が見渡せます。
40年前、私を建築の世界に導いてくださったM先輩は、今どうしていらっしゃるのでしょうか。

叡山-根本中堂-


■根本中堂は比叡山延暦寺の中にあり伝教大師最澄が、京都の東北である鬼門を護り、万民豊楽を祈って不滅の法灯を掲げました。
現在でもその灯明を消すことなく、1200年続いています。
つまり現在も京の町は日々護られていることになります。

■山門をくぐります。

 

 

 

 

■根本中堂は眼下にあります。
一般的なお寺は山門をくぐるとフラットか高い位置に本堂があります。
ここはおもいきり、きつい下り階段で本堂の前に降り立ちます。

 

 

 

 

 

 

 

■私は比叡山延暦寺というお寺は天台宗の総本山、最澄が造営した寺だということと、各宗祖の法然、親鸞、栄西、道元、日蓮等、各聖人方を輩出した大学みたいなお寺だと認識していました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ところが、この根本中堂を見て、感動してその場から動けませんでした。
まるで、ギリシャのパルテノンやローマのパンテオンを見た時、以来でした。
ファサードの丸柱の列柱が左右に回り込み、中庭を構成し、奥正面に本堂があります。
完全な平面構成でこの上もなく、この下もない完全無欠のプランです。
入口の扉を開け中に入ると中庭です。
正面に本堂があります。

 

 

 

 

 

 

■左に回り中庭を見ながら本堂に向かいます。

 

 

 

 

■本堂に入る前に入口の扉方向を見ます。

 

 

 

 

■本堂内は、撮影禁止ゆえ出てきた所で入り口方向を見ます。
堂内は薄暗く太い丸柱が整然と立ち並び、灯明の明りがゆらぎ、空間を幻想的にしています。
なんと気持ち良い建築でしょう。

京都-東山銀閣寺-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■銀閣寺を初めて訪れた時、度肝を抜かれたのはやはり、寺までのアプローチ、つまり参道にあります。左右に林立する、いわゆる大刈込の生垣です。
下段に石を積み、左側は竹垣、右側は低木の刈込み、その上に左右対称に見上げんばかりの高木の大刈込みとなっています。
西洋の庭園は、幾何学的でシンメトリーな構成をしています。
だが、この銀閣寺の参道は、一見シンメトリーに見えながら左右対称とせず、少しズレを入れてあります。
憎いことに、右側の低木からは奥にある竹林が見え隠れするよう計らいがあります。

つまり、閉鎖された左側の竹垣に対し、右側は透かしがあり、歩くたびに風景に変化をもたらしています。
また、正面に山門を置かず、左折させる所が実に見事です。


■銀閣寺、つまり慈照寺は室町幕府8代将軍、足利義政によって造営されました
祖父に当たる三代将軍義満公の北山金閣寺にならい、東山にて隠遁生活を過ごすため、ご自分の法号、慈照院にちなみ慈照寺と命名されました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■銀閣寺で有名なのは、なんといっても向月台と銀砂灘でしょうか。

 

 

 

■この2つの砂盛の意味は定かではありませんが、満月の夜、この庭を観ると何か感じるような気がしました。
月光が白砂に反射して、何か不思議な世界へ導いてくれるような。
逆に金閣寺は、さんさんとふりそそぐ陽光が似合いますね。
銀閣寺も金閣寺と同じく、回遊式庭園で、池を中心にまるで散策するようにできています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■紅葉のシーズンは、このように散策(?)します。

 

 

 

 

 

■裏山まで庭は続き、かなり高いところから、銀閣寺や京の町が眺めるように、造園されています。

 

 

 

 

 

 

 

■銀閣の紅葉は格別ですね。

京都-詩仙堂-

 

■詩仙堂は我が国における煎茶の開祖でもある、文人の石川丈山が造営したものです。

 

 

 

 

 

 

細い参道を通ります。

■前庭は細い砂で作った枯山水です。

 

 

 

 

■丈山は59才で詩仙堂を造営してから、没するまでの30余年を清貧の中に、聖賢の教えを自分の勤めとし、寝食を忘れてこれを楽しんだと言われています。

 

 

 

 

■詩仙の間より見る庭

 

 

 

 


■至楽巣より見る庭

 

 

 

 


■回遊庭園になっていて、たいへんきれいに整備された庭です。

 

 

 

 

■山側は自然を生かした庭になっています。
紅葉の映える美しい庭園を見ながら清貧の人、丈山を思うと、ミーハーな気分で庭を愛でる自分が、やや恥ずかしくもありました。

京都-曼珠院-

 

 

■久しぶりに、京都にて、下宿している次男に会いに行きました。
息子のアパートから歩いても行ける場所に曼珠院があります。
修学院離宮のすぐ南に位置し、伝教大師(最澄)の草創に始まる古いお寺です。

 


■山門につながる参道や脇道の紅葉は素晴らしいです。

 

 

 


■庭園は名勝庭園に指定されていて、遠州好みの枯山水で、庭の中央に滝石があり、白砂の水が水分石からひろがり、鶴島と亀島があります。

 

 

 

■鶴島には鶴をイメージした五葉松(樹齢400年)があり、亀島には地をはう亀の形をした松を配してある。

 

 

 

■重要文化財の小書院の屋根には柿葺きで釘隠しは、富士の形に七宝の雲を配したものが使われています。

 

 


■小書院の入り口の手水鉢は四方にふくろうが彫ってあり、台座の石は亀と鶴をかたどってあります。

 

 

 

■もともとあった御所の北から、当院を修学院離宮の隣に移したのは、桂宮智仁親王の次男親王である。
ゆえに、書院建築の代表である桂離宮と様式が類似するよういわれています。

 

 

 

■書院の間にある中庭を見ると、なるほど桂離宮に通じるものがあるように思えてきます。

 

 

 

東京浅草-スカイツリー-

 

■東京へは数えきれないほど行きましたが、浅草には一度も行ったことがありませんでした。
今回は、東京スカイツリーが見たくて浅草寺に寄って、まだ工事中のツリーを見ることにしました。

■これが有名な雷門ですね。
とにかくすごい人、人、人で、写真はカメラを頭の上にあげて撮りました。
年間数千万人の参拝者(観光客)が来る、日本で最も集客力のある観光スポットです。

 

 

■正面が浅草寺の本堂です。
参道の両脇にお店が立ち並び、そのお店の裏にも両サイドに参道があり、その外側にも店があり、人と物で何がなんやら。

 

 

 

■浅草寺のすぐ脇にある隅田川をはさんで、アサヒビールの本社ビルの後ろに、東京スカイツリーが見えます。
タクシーの運ちゃんは手前のビルを、ウンチビルと愛をこめて言ってました。

 

 

■地下鉄都営浅草線の押上を降りると、すぐにツリーがあるはずなんですが、工事中の仮囲いでまったく見えません。
ずいぶん回り込んでやっと見えてきました。
ん、高いよね。

 

 

 

 

 

 

■やっぱ高いわ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■どえりゃあ高きゃあわ!!!

 

展望台に上がりたいけど、まだ工事中でダメらしいが、周りには多くの観光客でいっぱいです。
これ、オープンしたら浅草どころじゃ、ないんじゃなぁい。

 

東京銀座-銀ブラ-

東京へは年に1,2度は行く機会がありますが、銀座に寄ることは滅多にありません。
今回、久びさに銀座を歩いてみました。昔これを銀ブラと言っていました。
フランク永井の”有楽町で逢いましょう”という歌がはやりました。
恋人と有楽町で待ち合わせ、銀座でデイトするのが流行ったような気がします。
また”銀座の恋の物語”というデュエットの歌もヒットしました。
つまり、昔のデイトスポットだったんですね。
現在は若者の街とは言えませんが、世界の一流ブランドが軒を連ねています。

 

■銀座4丁目の交差点にある、この和光ビルは銀座の象徴的なビルで、時計台の役目もはたしています。

 

 

 

 

 

 

 

■和光ビルの向かいのビルで、円筒状のモダンなビルの足元は、若い恋人たちの待ち合わせスポットでした。

 

 

 

 

 

 

 

■一年に一度、日本の地価が発表されますが、日本で一番高い地価の地番は、毎年必ず銀座鳩居堂前でした。
現在はおそらく、別の場所になっているのでしょうか。

 

 

■この銀座のライオンビヤホールは、若いころ東京に行くと必ず寄ってビールを飲む場所でした。
内装は大谷石を大量に使ったデザインで、フランク・ロイド・ライトをイメージさせるインテリアです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■銀座5丁目にリーズナブルな衣料品を扱うユニクロが店舗を構えました。
日本の中でも、最も高級なイメージの強い、銀座のプライドも変わりつつあります。

 

 

■このビルは世界的な建築家といわれている、日本の伊東豊雄氏の設計したビルです。
MIKIMOTOの真珠や宝石をイメージさせる、ユニークな外観の建物です。

 

 

 

 

 


■この2枚の写真のビルは最近建てられたようで、明らかに周りのビルと違う自己主張した建物です。
おそらく、設計者は日本人ではなく外国の建築家によるものでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久びさの銀ブラは懐かしく、楽しいひと時でした。
今から30年以上前に、今の妻と婚約中だったか、結婚してからだったか忘れてしまいましたが、銀座の小さなステーキ屋さんに入り、岐阜では滅多に食べられないステーキを注文したことがあります。
その時、お隣に座った初老の品のいいご夫妻が、ものすごい厚いステーキを食べていらっしゃいました。
我々もあんなステーキが食べられるようにがんばろうね、と誓った記憶があります。
自分たちの注文した薄いステーキを見つめながら…。

根尾谷断層-濃尾地震M8-


■今から120年前、明治24年に根尾谷を震源にM8、震度7の規模の地震が起きました。
内陸で起きた地震としては歴史上最大であった。
土地が6M隆起し、道路が寸断されているのが分かります。

 

■また、はげしく横ずれも起き、畑のあぜ道が8M動き、真っすぐの道がS字に変形しているのが分かります。
大地が激しく動いたことが読み取れます

 

 

■これは地震断層観察館にある施設です。
根尾断層を掘り、その上に大屋根を架け、実物そのままの断面を見せています。

 

 

■左下の白横ラインから上のラインまでの高さ6M。
黒い岩盤が、凄まじいエネルギーで割れて、隆起上昇したことが分かります。

 

 

■これは、当時岐阜市の中心地であった、伊奈波神社の参道の写真です。
建物は全てなく、参道に行きかう人が見えるだけです。
私はこのあたりに生まれ、育ちました。

 


■家が崩れ、大きな木の梁に挟まれる、父が懸命に娘を助けようとするが、火の手が直ぐそばまでやってきている。
娘は自分の櫛とかんざしを、形見として母に渡そうとしています。

 


■名古屋城も壁に大きなひびが入り、被害が甚大であった。

 

 

 

 

■現在の根尾断層の風景です。
まるでおだやかな堤防の法面にしか見えませんが、もともとは左の畑と同じ高さであったと思うと、信じられない自然の力を感じます。
その時、私達がその場にいたとすれば…。

仙台-メディアテーク-

 


■「せんだいメディアテーク」は、設計者 伊東豊雄氏を一躍、世界的な建築家にした作品です。
この建物の用途は図書館です。

 

 

■この建物の特徴はなんといっても、その構造にあります。
細いスチールパイプを束ねたような柱の中にエレベーターや階段が内蔵され、その柱は垂直に立つのではなく、
クネクネとそれぞれ自由な方向に傾いて上へ延びています。

 

 

 

 

 

 


■この構造の安全を解析するのは、かなり高度な技術と能力を必要とします。

構造を担当したのは、日本では最も優れた構造家の一人である、佐々木睦朗氏です。

 

■この建物のファサードはダブルスキンのガラスで被われ、ガラスを通し、まるで重力から解放され浮遊する建築物が見えてきます。

 

 

 

■この不思議な建物は優秀な構造家無しでは存在しませんでした。

 

 

 

 

■この度の震災後、半年が過ぎてこの建物を見学させて頂きました。
当然、建築物の構造体は無傷で立派に建っていましたが、7階の天井が落ちて、未だに工事中とのことで中に入れませんでした。
7階だけがかなりの揺れだったようです。

 

 

幸いけが人が出なかったようですが、いくら構造体が無事でも、天井が落ちてくれば大事に至ります。
少し考えなおす必要があるかもしれませんね。

しかし、せんだいメディアテークは、素晴らしい建物だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台-松島-

■穏やかな松島湾に点在する島々の美しさを、
「松島や ああ松島や 松島や」とうたったのは松尾芭蕉だったでしょうか。

感動をこれ以上のことばで表現出来なかったのでしょうね。

日本三景の一つ松島を含め、日本の海の風景は、
世界のどの海よりも水墨画的で宗教的な深い精神性を感じます。
少なくともハワイ、ワイキキのロングビーチとは全く違いますね。

 

 

 

 

円通院

 

■伊達政宗の嫡孫、光宗公の菩提寺である。

幼少より文武に優れ、幕府にとって恐るべき逸材であったらしい。

19才という若さで江戸城内において卒す。毒殺説がある。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■三慧殿までのアプローチは素晴らしく、庭は小堀遠州の作らしい。