東京銀座-銀ブラ-

東京へは年に1,2度は行く機会がありますが、銀座に寄ることは滅多にありません。
今回、久びさに銀座を歩いてみました。昔これを銀ブラと言っていました。
フランク永井の”有楽町で逢いましょう”という歌がはやりました。
恋人と有楽町で待ち合わせ、銀座でデイトするのが流行ったような気がします。
また”銀座の恋の物語”というデュエットの歌もヒットしました。
つまり、昔のデイトスポットだったんですね。
現在は若者の街とは言えませんが、世界の一流ブランドが軒を連ねています。

 

■銀座4丁目の交差点にある、この和光ビルは銀座の象徴的なビルで、時計台の役目もはたしています。

 

 

 

 

 

 

 

■和光ビルの向かいのビルで、円筒状のモダンなビルの足元は、若い恋人たちの待ち合わせスポットでした。

 

 

 

 

 

 

 

■一年に一度、日本の地価が発表されますが、日本で一番高い地価の地番は、毎年必ず銀座鳩居堂前でした。
現在はおそらく、別の場所になっているのでしょうか。

 

 

■この銀座のライオンビヤホールは、若いころ東京に行くと必ず寄ってビールを飲む場所でした。
内装は大谷石を大量に使ったデザインで、フランク・ロイド・ライトをイメージさせるインテリアです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■銀座5丁目にリーズナブルな衣料品を扱うユニクロが店舗を構えました。
日本の中でも、最も高級なイメージの強い、銀座のプライドも変わりつつあります。

 

 

■このビルは世界的な建築家といわれている、日本の伊東豊雄氏の設計したビルです。
MIKIMOTOの真珠や宝石をイメージさせる、ユニークな外観の建物です。

 

 

 

 

 


■この2枚の写真のビルは最近建てられたようで、明らかに周りのビルと違う自己主張した建物です。
おそらく、設計者は日本人ではなく外国の建築家によるものでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久びさの銀ブラは懐かしく、楽しいひと時でした。
今から30年以上前に、今の妻と婚約中だったか、結婚してからだったか忘れてしまいましたが、銀座の小さなステーキ屋さんに入り、岐阜では滅多に食べられないステーキを注文したことがあります。
その時、お隣に座った初老の品のいいご夫妻が、ものすごい厚いステーキを食べていらっしゃいました。
我々もあんなステーキが食べられるようにがんばろうね、と誓った記憶があります。
自分たちの注文した薄いステーキを見つめながら…。

根尾谷断層-濃尾地震M8-


■今から120年前、明治24年に根尾谷を震源にM8、震度7の規模の地震が起きました。
内陸で起きた地震としては歴史上最大であった。
土地が6M隆起し、道路が寸断されているのが分かります。

 

■また、はげしく横ずれも起き、畑のあぜ道が8M動き、真っすぐの道がS字に変形しているのが分かります。
大地が激しく動いたことが読み取れます

 

 

■これは地震断層観察館にある施設です。
根尾断層を掘り、その上に大屋根を架け、実物そのままの断面を見せています。

 

 

■左下の白横ラインから上のラインまでの高さ6M。
黒い岩盤が、凄まじいエネルギーで割れて、隆起上昇したことが分かります。

 

 

■これは、当時岐阜市の中心地であった、伊奈波神社の参道の写真です。
建物は全てなく、参道に行きかう人が見えるだけです。
私はこのあたりに生まれ、育ちました。

 


■家が崩れ、大きな木の梁に挟まれる、父が懸命に娘を助けようとするが、火の手が直ぐそばまでやってきている。
娘は自分の櫛とかんざしを、形見として母に渡そうとしています。

 


■名古屋城も壁に大きなひびが入り、被害が甚大であった。

 

 

 

 

■現在の根尾断層の風景です。
まるでおだやかな堤防の法面にしか見えませんが、もともとは左の畑と同じ高さであったと思うと、信じられない自然の力を感じます。
その時、私達がその場にいたとすれば…。

仙台-メディアテーク-

 


■「せんだいメディアテーク」は、設計者 伊東豊雄氏を一躍、世界的な建築家にした作品です。
この建物の用途は図書館です。

 

 

■この建物の特徴はなんといっても、その構造にあります。
細いスチールパイプを束ねたような柱の中にエレベーターや階段が内蔵され、その柱は垂直に立つのではなく、
クネクネとそれぞれ自由な方向に傾いて上へ延びています。

 

 

 

 

 

 


■この構造の安全を解析するのは、かなり高度な技術と能力を必要とします。

構造を担当したのは、日本では最も優れた構造家の一人である、佐々木睦朗氏です。

 

■この建物のファサードはダブルスキンのガラスで被われ、ガラスを通し、まるで重力から解放され浮遊する建築物が見えてきます。

 

 

 

■この不思議な建物は優秀な構造家無しでは存在しませんでした。

 

 

 

 

■この度の震災後、半年が過ぎてこの建物を見学させて頂きました。
当然、建築物の構造体は無傷で立派に建っていましたが、7階の天井が落ちて、未だに工事中とのことで中に入れませんでした。
7階だけがかなりの揺れだったようです。

 

 

幸いけが人が出なかったようですが、いくら構造体が無事でも、天井が落ちてくれば大事に至ります。
少し考えなおす必要があるかもしれませんね。

しかし、せんだいメディアテークは、素晴らしい建物だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台-松島-

■穏やかな松島湾に点在する島々の美しさを、
「松島や ああ松島や 松島や」とうたったのは松尾芭蕉だったでしょうか。

感動をこれ以上のことばで表現出来なかったのでしょうね。

日本三景の一つ松島を含め、日本の海の風景は、
世界のどの海よりも水墨画的で宗教的な深い精神性を感じます。
少なくともハワイ、ワイキキのロングビーチとは全く違いますね。

 

 

 

 

円通院

 

■伊達政宗の嫡孫、光宗公の菩提寺である。

幼少より文武に優れ、幕府にとって恐るべき逸材であったらしい。

19才という若さで江戸城内において卒す。毒殺説がある。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■三慧殿までのアプローチは素晴らしく、庭は小堀遠州の作らしい。

 

 

 

花巻-イーハトーブ-

 

■宮沢賢治をたずねて花巻に着きました。

私にとって彼は、ずっと気になる不可解な存在でした。

以前から、彼の生まれ育った花巻の地を一度でいいから踏んで見たいと思っていました。

なぜなのか、自分でもその理由がわかりませんでしたが、ついにイーハトーブという不思議な国にたどり着きました。

 

 

 

■岩手の花巻一体は、縄文期は大陸と陸続きで象などもいて、豊かな狩猟文化が花開いていたようです。

写真は獣達を追い立てて穴に落として捕獲する、落とし穴の断面です。
高度な技術と美しさを感じます。

 

■この地は落葉樹林が多く、栗やどんぐりなど、木の実が豊富に実り、足元には多種な木の子も群生し、リスや小動物の宝庫です。

こんな環境で宮沢賢治が育ったんですね。

 

 

■宮沢賢治の世界は、よく分からないがなぜか惹かれる不思議な魅力があります。

どこか、穢れのないコドモが小さな昆虫に夢中になる姿と、科学者が遠い宇宙について語る目がオーバーラップします。
写真は賢治の頭の中、つまりイマジネーションを表現した空間です。

 

■銀河鉄道の夜の原稿のコピーです。

何か書いてある古い原稿の裏を使ってこの作品は書かれています。

巨大な宇宙空間の中に賢治の世界観、死生観が繰り広げられている作品と言われています。

実に下手くそな字ですねぇ。嬉しくなっちゃいます。

 

平泉-毛通寺-

■毛通寺は、ユネスコ世界遺産に登録されました。
奥州藤原三代が100年にわたって築いた文化がここにあります。

 

 

 

 

平安末期から鎌倉前期は、仏教で言う「末法」の時代。
つまり、戦、飢饉、災害に疫病がはやり、おそらくこの世の終わりを国民全体が感じていた時代だったと想像できます。

■この東北の地に宇治の平等院を模してつくられた、阿弥陀仏国の再現です。

 

 

スケールは平等院をはるかに超える大きさで、広大な敷地の中央に大きな池を作り、各堂塔が取り巻く格好で配置されています。回遊型の庭園の原型かと思われます。

仏典にある浄土の有様が、庭のどこにいても感じられるように作ってあるのです。


■現在、堂塔は残っていないため、想像力を駆り立てて、広大な伽藍をイメージして当時を偲ぶしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、昔の人はこの世を憂い、永遠の幸せを願ったんですね。

 

 

 

 

 

平泉-金色堂-


小学生の時か中学生の時か忘れてしまいましたが、社会の教科書の一枚の写真に感動した覚えがあります。
それは岐阜からはるか離れた東北の奥深い山中に絢爛豪華にあるお堂、金色堂でした。

 


■この度、ずっと見てみたいという願望が叶い、岩手の平泉に行くことが出来ました。
金色堂は中尊寺にある一つの阿弥陀堂で、中尊寺は小高い山に造営され、参道は大きな杉が林立する登り坂になっています。

 

 

 

 

 

■参道の左右には、多数のお堂や鐘楼があります。

 

 

 

 

 

 


■やっとたどり着いた金色堂。鉄筋コンクリートの覆堂の中なんだ。がっかり…

 

 

 

 

 

 

■完全耐火構造の中には黄金色にかがやく金色堂があります。

 

 

 

 

みちのくの山中に900年前の深い木々の中、
覆い屋のない金色堂が忽然と現れたらどうでしょう。

そう思ってみる金色堂は、この世のモノとは思えませんでした。